分かり合うということ
人と人が「わかり合う」こと
人はわかりあえない。相手の考えかたや気持ちがわかっている。という勘違いによって仲良くなることもあるし、一緒にいられることもある。しかし、たいてい「なのに、なんで私のことわかってくれないの?」という哀しい勘違いを生み出す。人は本質的にはわかり合えない。この事実だけがわかり合える。
— カレー坊主@吉田武士 (@curry_boz) April 18, 2021
上記カレー坊主さんのツイートを見てから、
私自身の現在までの出来事を振り返って、「たしかに」と思えてきて、モヤモヤっと考えたことを以下に書いておく。
人と人は完全には分かり合えない、を前提とする。
なぜなら、自他ともに、経験、時間、体調、その他もろもろの条件を完全に理解することはできないから。
分かり合おうとする(しない)ことには、4パターンある。
分かり合えないことをわからずに、分かり合おうとすること。
分かり合えないことをわからずに、分かり合おうとしないこと。
分かり合えないことをわかった上で、分かり合おうとすること。
分かり合えないことをわかった上で、分かり合おうとしないこと。
「分かり合い」には、
・相手に分かってもらうこと
・相手のことをわかろうとすること
の2つがある。これを適宜判断して使っていく。
追記(210510)
「相手に分かってもらう」努力は無駄のような気がしてきた。
結果しか、見られていない。過程はすっ飛ばされる。
だから、しばらく「分かってもらう」努力はやめてみよう。とりま、やーめた。
私はただ、「相手のことをわかろうとする」をやってみよう。
1%でもいいから、「わかろうとする」こと。これだけでいーや。